旧塩務局庁舎保存運動(山陽新聞玉野圏版3回シリーズより)
(平成20年9月30日・10月1日・10月3日)
塩の町山田再発見
<上>広がる塩田県内最大級あふれる活気・多くの働き手、多彩な役職
かつて全国有数の製塩地として栄えた山田地区。100ヘクタールとも言われる広大な塩田跡を望む住宅街に、当時の繁栄ぷりを伝える建物が残る。今年築100年を迎えた旧大蔵省塩務局の塩専売庁舎「味野専売支局山田出張所」と「文書庫」。これらの建物を保存し、文化庁の登録有形文化財にして地域おこしに生かそうとする動きが、山田市民センターのまちづくり講座生を中心に広がっている。同地区の製塩史を振り返り、講座生らの活動を追った。
出張所、文書庫が建てられたのは1908(明治41)年。ナイカイ塩業の創業者・野崎武左衛門が山田地区に東野崎浜塩田を築造してから67年後のことだ。白ペンキ塗りで洋風建築の出張所(平屋約200平方メートル)に、れんが造りの文書庫(平屋約30平方メートル)、当時としてはかなりモダンな建物であったと思われる。出張所は塩田で作られた塩を一カ所にまとめる集配所、文書庫は塩専売法(1905年<明治37年>施行)にかかわる公文書をしまう保管庫として使用されていた。
出張所が完成したころの山田地区は、県内最大級の製塩地として発展の一途をたどっていた。一帯には大小いくつもの塩田が広がり、通りには居酒屋や旅館、銭湯などが軒を連ねた。1913年(大正2年)には劇場「蛭子座えびす」が開館するなど、現在の玉野市域でみても、最も活気あふれる地域だった。そのころの塩作りは大変な重労働だった。干満の差を利用して塩田に引き入れた海水から濃い塩水を採取する「入浜式塩田」。
塩田で塩水を集める浜子、寄せ子、海水を煮詰める釜屋番、釜焚き・・・多くの働き手を要し、多彩な役職があった。浜子として15歳から塩田で仕事をしていた村上幸造さん(87=山田=は「天候に左右されるため、炎天下で仕事をすることが多かった。麦わら帽子をかぶり『浜子唄』を歌いながらの作業。みんなきつかったと思う。終わった後はいつも汗だくだった」と懐かしそうに振り返る。だが、時代とともに製塩法は変化。1960年(昭和35年)代後半に入ると「膜濃縮製塩法」と呼ばれる手法の開発で、大型機械を使い少ない人手で塩が作られるようになり、塩田はその役目を終えた。
出張所と文書庫は、旧山田村役場などとして便われた時期もあったが、本来の役割は徐々に地元の人たちからも忘れられつつあった。
<中>保存と活用
山田市民センターのまちづくり講座生らが「味野専売支局山田出張所」と「文書庫」の希少さに気付いたのは2002年(平成14年)。地域の歴史をまとめた冊子づくりがきっかけだった。講座生の丸田昇さん(77)=山田=は「調べていくうちに、市や県の重要文化財に指定してもらえないだろうかという話になった」と振り返る。
2006年(平成18年)春、建物の現状を調べた講座生らは、思っていた以上の傷みの激しさに驚いた。「特に、文書庫は屋根の損傷が激しく、扉は下部に穴が開いた状態。窓もさびついて開かなくなっていたと講座生の高畠順正さん(77)=同所。修理が必要だった。
講座生らは、修理にかかる費用を集めるため、市民センターに文書庫を模した手作り募金箱を設置、近所の家を訪ねて協力を依頼した。そうして得た約40万円をもとに2007年(平成19年)5月、文書庫の屋根の破損個所をふさぐ工事を実施。7月までに扉と窓も修繕した。「ゆくゆくは文化斤の登録有形又化財に」という具体的な、目標ができたのもこのころだ。ただ、地元でも出張所と文書庫のことを知らない人が多く「今のままでは文化財登録されてもまちづくりに生かせない。知名度アップが不可欠だった」と講座生の佐藤律子さん(61)=同所。そんな中、講座生らに「出張所をイベント会場として使えないか」と声が掛かった。4カ月後の11月23日。出張所一帯は多くの市民らでにぎわっていた、展示された美術品の数々。多彩な催し。アートによるまちおこしをテーマとした「玉野みなと芸術フェスタ」だ。
主催は市内の芸術家らでつくる実行委。メンバーの現代美術家清水直人さん(28)=築港=は「これまで毎年宇野港一帯で開いてきたが、講座生らの活動を知り、アートを通して建物の活用を図ろうと主会場を移すことにした」。建物のPR方法を考えていた講座生らにとって願ってもない話だった。講座生らもフェスタの企画、運営に参加。入場者に出張所と文書庫の歴史的背景を説明するなど盛り上げに一役買った。3日間で、延べ約800人が来場。「フェスタ後、地域の人から『協力できることがあったら言って』といった声を聞くようになった」と講座生の小野美智子さん(63)=西田井地。
出張所と文書庫の存在が徐々に住民に浸透し始めた。
イベントで知名度アップ
<下>登録有形文化財
.栄えた証し後世に
歴史、文化に誇り、愛着を
「山田地区が塩作りで栄えた証しを文化財として後世に残していきたいと強く思っています。よろしくお願いします」。平成20年8月28日。市役所を訪れた山田市民センターのまちづくり講座生らは、数枚の書類を岡本和徳教育長に手渡した。
「昧野専売支局山田出張所」と、「文書庫」を文化庁の登録有形文化財にするよう求める申請書だ。塩作りの歴史に詳しい日本塩業研究員・おおなるつねひろ大成経凡さん=愛媛県=による所見も添えられていた。「登録有形文化財になれば保存、活用に向けた機運も高まるはず」と講座生の丸田昇さん(77)=山田。
申請書は市、県の担当者が書類に不備がないかなどをチェックした後、文化庁に提出される。登録審査は平成20年11月。「資料は十分そろっている。登録される可能性は高い」。講座生の大西康夫さん(79)=山田=は期待する。昨年末から、講座生らは活動の拠点を山田市民センタiから出張所の空き部屋に移した。「実際に活用しながら保存に取り組んでいこう」と思ったからだ。活動はおおむね月2回。現在は、昨年に続き出張所一帯で開かれることになった「玉野みなと芸術フェスタ」の準備に追われている。フェスタは平成20年11月22日から3日問。
講座生らは、出張所と分書庫をはじめとする地区の遺構などを巡るウオークや、文書庫に古い書物を並べて入場者に昔ながらの雰囲気を昧わってもらう催しなどを計画。出張所と文書庫のPRに努めるつもりだ。」そのころには、すでに登録有形文化財になっている可能性も膨らむ。講座生高畠順正さん(77)=同所=は「その報告がフェスタでできればいいですね」。保存活動の参考にしようと、講座生らは平成20年2月、出張所、文書庫と同じ明治期に建てられた兵庫県の赤穂塩務局庁舎と赤穂市歴史博物館を訪ねた。「資料や道具が数多く残されているのに驚いた。出張所と文書庫も、赤穂塩務局庁舎のようにしていけたら」。講座生の佐藤律子さん(61)=同所=は将来像を描く。製塩で栄えたまち、山田。
その歴史と又化に誇りを持ち、住民がこれまで以上に愛着を持てる地域へ。
大きな目標に向かって、講座生らは確かな一歩を踏み出した。